M・M・LOコラム

第5

刑の量定

 刑事裁判では刑罰の重さが、どのように決められているのか。ニュースなどでは、「〇〇被告に懲役〇〇年の判決が下された」などと報じられることが多いが、その判断がされるまでには、裁判官による深淵な思考が介在している。今回のコラムでは、ある人が犯罪を起こしたことを前提として、その人に対して下される刑罰がどのように決められているかを紹介したい。この刑罰を決定する作業は、刑事訴訟法上は「刑の量定」との文言が使われているが、一般には「量刑」と呼ばれている。
 罪刑法定主義という言葉を聞かれたことがあるだろうか。どのような行為が犯罪とされ、その行為に対していかなる刑罰が科せられるかということは、事前に法律で決められていなければならないという原則である。例えば、刑法199条では、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」と定められているため、人を殺した者には最大の刑罰、死刑まで科すことができるのである。
 量刑のためには、まず何よりも、この刑罰を定める法律の意味するところを考えなければならない。例えば、刑法199条が言いたいことは、大きく分けると、①「人の命は尊いものだから、守りなさい」ということと、②「①の禁止を破ったら、制裁を科します」ということの2つである。つまり、刑法199条は、人の命に価値を見出し、それを侵害した者には制裁を加えると警告しているのである。
 ところで、刑法199条では、禁止を破った者に対してどのような制裁が加えられるかという点について、「死刑又は無期若しくは五年以上の懲役」と制裁の種類が死刑か懲役か特定されておらず、懲役を選択した場合のその期間もまた特定されていない。この制裁の種類と量を、法律の規定する範囲内で特定する作業が、量刑にとって最も重要なことである。
 制裁の種類と量を決める際にも、やはり、法律がどのように考えているか、という式の考え方がなされる。例えば、刑法上、殺人罪と比較し、殺人未遂罪(人を殺そうと行動したが死の結果が生じなかった場合を意味する)は刑を軽くすることができることから、刑法は、全体として、結果の大きさを制裁の大きさの決定に当たって考慮すべきだと考えているように見える。また、刑法上、殺人罪と比較し、過失致死罪(誤って人を死に至らしめてしまった場合を意味する)は刑が軽いことから、刑法は、全体として、行為者の主観も制裁の大きさの決定に当たって考慮すべきだと考えているように見える。このような考え方を、刑法が形作っている体系全体を意識しながら、具体的に行われた犯罪ごとに何度も何度も繰り返すことで、刑の重さは決定される。
 量刑とは、基本的には、「法」が、自分が守りたいと考えているものを傷つけられたことに対する「法」自身のカウンターアタックのようなものと捉えると分かりやすい。つまり、「法」は、自分が守りたいと考えているものが深く傷つけられるほどに、より重い制裁を望むのではないか、ということである。刑法199条の例でいえば、人の命を確実に奪えるような方法で、強い殺意をもって、用意周到に計画をした上で、冷徹に人を殺害した者などの、人の命をより軽視し、よりないがしろにした者に対して、より重い制裁が科されることを、「法」は望んでいるように思われるのである。
 量刑の検討においてよく考慮される観点は、一般的には「量刑事情」と呼ばれ、行為態様、結果、動機、計画性、被害者の落ち度、犯罪の社会的影響、被害者感情、前科、犯罪後の態度などに分類されて各別に研究がなされている。「なぜこの量刑事情があると重く、あるいは軽く罰せられるべきなのか」などと突き詰めて考えていくことは、「法」の心の一部をのぞき見ようとするものである。裁判官は、「法」の心の助けを借りながら、「人を裁く」という神の所業にも近い困難な作業を日々行っているのである。
  

東口良司 2016.5.25