第1回
ガバナンスの強化か?
平成26年会社法改正によって、社外取締役2名の選任がほぼ義務づけられ(有価証券報告書提出会社に限られている)、一方で監査等委員会設置会社の制度が創設された。その目的は、一言にして言えば、企業ガバナンスの強化とされている。
今日の企業活動が、国内のみならず、世界規模にならざるを得ない経済状況にあること、大企業でも専横的な経営者の下で生じる不祥事が断えないこと、従来の監査役制度がかなり形骸化していること、などを前提とすれば、欧米の制度に範をとったこれらの会社法制の展開も根拠のないことではない。
しかし、形だけでは欧米に近づいても、欧米と今日までの企業風土や企業組織が全く異なる日本で、それでガバナンスの強化がはかれるのか、と考えれば疑問は大きい。実務家の立場からいえば、50年先の話は別として、早晩の制度としては、第三者機関の監査強化(例えば、監査法人の選任や報酬額の決定を監査される企業から切り離すこと、など)の方が不祥事防止のためにははるかに効果的と思われる。
同じ株式会社といっても、日本の株式会社と欧米のそれとでは大きく制度が異なる(比較会社法研究―森本滋編著、商事法務)。また、アメリカ社会が一握りの富裕層と大多数の貧困層で構成されているように、戦後約70年の日本とは社会構造も大きく異なる(貧困大国アメリカ―堤未果、岩波新書など)。乱暴ではあるが例え話でいえば、アメリカ社会の巨大企業の多くはプロ野球球団で、日本の企業は、日本相撲協会の組織に似ている。取締役の委員会制度のモデルとなったアメリカ企業は、社長以下の執行役が実践部隊の経営者で、プロ球団の監督のようなものである。だから有能とされた中日球団の監督が阪神の監督になり、更に次の球団に移っていく。球団のオーナに相当する取締役会は、適切な監督(執行役)の選任に努め、これをチェックしているだけで、不都合が起れば監督を交替させる。自分が監督になることはまずない。球団のオーナがそうであるように、野球に精通しているとか、名選手であったか否かなどは、関係がない。或る意味では、そういうオーナで構成されている一種の上流社会のメンバーと認められる人達である。取締役会は、そういう人達のサロンに近い。
一方、日本は、戦後のアメリカ軍による財閥解体や企業分割によって、アメリカ的な上流社会もなくなり、一時期、国民の9割が中流意識をもった、というような社会を構成してきた。企業においても、例えば東証一部上場企業を現に支配している社長や会長は、極く一部の創業者のような例外を除いて、圧倒的多数が、一流大学を卒業し、その企業や関連企業で平社員から順次昇進してきたエリートサラリーマンである。日本相撲協会のように、大関、横綱が理事長になっているのである。そして、その人達が企業権力を握り、動かしている。当然のこと乍ら、誰よりもその企業をよく知り、その企業の運営に自信を持っている。グローバルスタンダードでは執行役が企業を運営しているからと、一旦は部下を執行役員社長にして経営させてみても、委せきれずに口出しをするし、少し業績が思わしくないと感じると、自ら社長に復帰して立て直しにかかる。こういった企業では、NHKの会長ではないが、代表取締役になって実権を握ったら予め日付のない全取締役の辞表を出させる、といったことが、当り前のように行われている。株主総会で選出された取締役などという感覚はない。自分が必要な人材として取締役に選んだと考えている。
本稿は日本の制度を批判しているものではない。このやり方で日本企業はここまで来た。勿論グローバル企業となれば、外国の制度の導入もせざるを得ない。しかし、その制度のプラスマイナスを考え、今の「当社」の体制でどう変革できるかを考える必要があるのではなかろうか。うまく欧米文化を日本流にとり入れた明治の先達にも学ぶべき範があるのではなかろうか。
村田 敏行 2015.07.03